コミックマーケットのオリジナルソックスを製造して勉強になった話
2022/7/26
コミケなどの同人誌のイベントで販売するためのグッズとしてオリジナル靴下を製作しました。
年末の時期になると、決まって毎年一組ずつ製作のご依頼を頂いています。
自らの世界観を靴下に表現したいお客様とのやりとりは、熱意が直に伝わってくるので、毎年の楽しみでもあります。
納期は厳しいのですが、なんとかやりくりをしています。前回(2018年)の案件は、例年にもましてエキサイティングでした。
コミックマーケットに間に合うように新東京郵便局にタクシーで納品する
発注数は500足頂きました。
分納で年末のコミックマーケット東京、年明けのCOMIC CITY 大阪113とCOMIC CITY 福岡45に納品するという案件でした。
決められた期日までに、配送業書が指定した場所に納品すると、イベント当日に会場で荷物を受け取ることができるサービスがあります。
貨物を一箇所に集約して、会場に一括納品する仕組みです。
東京コミックマーケットの指定納品場所は、新東京郵便局でした。
ぎりぎりでしたので、間に合うかどうか念のため電話で問い合わせてから、夕方カートンを担いで事務所を出発しました。
郵便局留めで持ち込みの場合、運賃はどうするんだろうと思いましたが、普通に秋葉原から新東京郵便局までのゆうパック運賃を請求されました。
受領印をもらって無事納品完了しました。
一年間がんばったご褒美に、東陽町駅前の「とんかつ田」でヒレカツ定食を食べてから帰途につきました。
インテックス大阪のCOMIC CITY 大阪 113分は新幹線で納品する
インテックス大阪の「COMICCITY 大阪 113」分は、前日までに会場のヤマト運輸に到着させればよいと思い違いをしてしまっておりました。
靴下はだいぶ前に事務所に入っていたのにかかわらず、大ボケでした。
慌ててヤマト運輸と交渉しましたが、翌日の10時までに、奈良のヤマト運輸に貨物を着けなければ間に合わないということ。
お客様にご相談すると、イベント前日までに宿泊のホテルフロントに預けてもらえればよいとのことでしたので、カートンを担いで新幹線で納品することにしました。
新幹線の往復が3万円です。自己嫌悪に陥ったのは言うまでもありません。
でも人間はいつまでも落ち込んではいられない動物です。新幹線の車窓が、関ヶ原付近のうっすらと雪が積もった景色になるころには、もう気が晴れていました。
無事インテックス大阪の目の前にある、ハイアットリージェンシー大阪に納品を済ませて、港の方へ歩いていくと、さんふらわあ号が停泊しているのが見えました。
これからも同人誌のオリジナル靴下製作に挑戦したい
翌週のCOMIC CITY 福岡 45に納品する分は、再度納品日を確認し、余裕を持って納品しました。
コミックマーケットの案件で、会場に直接納品する形をとったのは今回が初めてでした。
秋葉原から新東京郵便局へのタクシー代や大阪と東京往復の新幹線代は痛い出費でしたが、なによりも経験を積むことができたのは大きな収穫でした。
同人誌のイベントは、大阪や福岡でも開催されているんですね。オリジナルグッズを製作して様々な会場で販売するのって、なんだか楽しそうです。
コミックマーケット関連のグッズを製作をお考えでしたら、オリジナル靴下の製作も検討してみてはいかがでしょうか。次回はもっと効率的にハンドリングする方法がないか検討します。
サービスメニュー
- 「靴下ブランドを立ち上げたい」ブランド、クリエイター、に向けて、「伴走型の靴下製造サービス」をご提供しております。
- オンライン、Email、対面での相談を承っております。
ブリングハピネスブリングハピネスhttps://www.bringhappiness.jp/656
- オリジナル靴下を製作したい方々に向けて、「製造工場を探したい」「どんな種類の靴下が製作できるか知りたい」など状況に合わせた記事を複数紹介しているページもありますので、よろしければご参照ください。
- 台湾製無地靴下の在庫を使うことで、靴下は100足/色~、100足の中で刺繍デザインは2種類までの対応ができるようになりました。
合同会社ブリングハピネス代表。
中国内モンゴルで中国語とモンゴル語を学んだのち、東京のぬいぐるみ雑貨メーカーで9年間生産管理の仕事をする。2014年に起業し、台湾靴下工場と一緒に「靴下ブランドを立ち上げたい」デザイナー、クリエイター、ブランドに向けた「伴走型でじっくり取り組む靴下製造サービス」を立ち上げる。台湾工場の強みは細かなデザインの再現とはき心地の良さを両立させる技術力。起業してからの7年間で、工場と二人三脚で数多くのブランドの靴下製造を手がける。バーチャルで靴下サンプル製作が可能な島精機製作所デザインシステムを使用。
この記事を書いた人
岩村 耕平