私が靴下の製造に携わるようになったきっかけとは
2022/11/15
私が初めて靴下の工場と出会ったのは、老舗のぬいぐるみ雑貨メーカーでお仕事をしていた時のことです。
小さな携帯電話を入れるためのニット携帯カバーを開発をすることになり中国で工場を探したことがきっかけでした。
中国の靴下工場から、やり遂げることの大切さを学んだ
中国ビジネスで「沒有問題は有問題」(中国の方が問題ないと言うのは、イコール問題が沢山あるということ)という格言があります。
中国の方がいう「大丈夫」は全然大丈夫じゃないことの方が多いという意味です。
私が初めてお取引をした工場の担当者は、幸いにも几帳面で辛抱強い性格の青年でした。細かいデザインの修正に何度も応じてもらいました。
修正回数は7回。キャラクターが12種類もありました。普通の中国人が担当したらいつ投げ出されてもおかしくないような案件でした。
彼の根気強さに助けられ、無事発売することができました。
彼いわく、当時は細かさとプレッシャーで気が狂いそうになりましたが、何度も修正を重ねてクオリティをつきつめた経験があるからこそ今があるとのことでした。
その後彼は靴下工場社長の娘さんと結婚し、工員300名規模の靴下工場の経営者になっています。
私の今日があるのも、彼との仕事を通して、引き受けた仕事はなんとしても最後までやり遂げるという姿勢を学ぶことができたからなのかもしれません。
彼との出会いが、私の仕事の原点になりました。
靴下の製作に携わった経験と出会いがあるからこそ今がある
この携帯カバーの発売がきっかけとなり、会社が本格的にキャラクター靴下の市場開拓に乗り出すことになりました。
社内に靴下製造知識の蓄積がない状況ではありましたが、様々な壁に突き当たって失敗しながら、靴下工場と企画開発のデザイナー達と三位一体になり7年間ひたすらキャラクター靴下に携わりました。
ぬいぐるみメーカーで7年間靴下を製造した経験と出会いが、今に生かされています。
顧客の100%が新たに靴下事業チャレンジされる企業様です。
ぬいぐるみメーカーでゼロから靴下事業を育てるお手伝いをした経験と工場との絆を活用してお客様と三位一体になって新規ビジネスの立ち上げに取り組んできました。
今の事業が成り立っているのは、ぬいぐるみメーカーでの7年間があったからこそになります。
合同会社ブリングハピネス代表。
中国内モンゴルで中国語とモンゴル語を学んだのち、東京のぬいぐるみ雑貨メーカーで9年間生産管理の仕事をする。2014年に起業し、台湾靴下工場と一緒に「靴下ブランドを立ち上げたい」デザイナー、クリエイター、ブランドに向けた「伴走型でじっくり取り組む靴下製造サービス」を立ち上げる。台湾工場の強みは細かなデザインの再現とはき心地の良さを両立させる技術力。起業してからの7年間で、工場と二人三脚で数多くのブランドの靴下製造を手がける。バーチャルで靴下サンプル製作が可能な島精機製作所デザインシステムを使用。
この記事を書いた人
岩村 耕平